2012年7月12日木曜日

今日のソ連邦 第4号 1986年2月15日 その1

やってしまいました。
なにかおかしいと思っていたのです。
1986年のバックナンバーが1冊だけとかヘンだぞ・・・と。

案の定、本棚を調べてみたら、わらわら出てきました。というわけで、時計の針をいささか戻すことをお許しください。
てなわけで、「今日のソ連邦」の第4号です。

表紙を飾るのは安倍外務大臣(当時)とソ連のシェワルナゼ外務大臣。安倍さんは、えーと、何年か前に首相をやっていた人の父親です。
シェワルナゼさんは、ゴルバチョフ書記長に抜擢された改革派の人。グルジア人で、モスクワ入りする前には、グルジア共和国KGB議長をやっていた人です。ゴルバチョフさんは、アンドロポフ書記長(元KGB議長)と関係が深かったですから、その流れでの抜擢でしょうね。
しかし、シェワルナゼ氏は、一向に成果の上がらないペレストロイカに失望し、後に「独裁が近づいている」という言葉を残して、モスクワを去ることになります。それから間もなくクーデターが起きて、ソ連崩壊の幕が上がるのでした。
もちろん、この写真が撮影された時点で、そんなことを予測できた人間は地球上のどこにもいなかったでしょうけど。

ところで、このシェワルナゼさん。眼光鋭い風貌から、油断のならない人物というイメージがありますが、実際にはソフトな物腰で、ソ連のイメージアップに貢献した重要な人物です。
なにしろ前任者は、年がら年中しかめっ面で、ノー(ニエット)としか言わないことから「ミスター・ニエット」の綽名がついたグロムイコ氏です。
率直な物言いのシェワルナゼさんに、西側は「やっと、まともに話ができる政治家が現れた」と期待を寄せたわけです。

東京について早々、屋外でスピーチするというのも異例で、この辺は当時のマスコミなどでも驚きをもって報道されていたようです。
わずか4日間の滞在でしたが、日本政府の首脳と会談するだけでなく、日本庭園を訪れたり、ソニーのショールームや日産の座間工場を見学したり、広島&長崎の市長と会談したり、と大忙し。
日本を離れる直前に、日本記者クラブで記者会見するなど、従来のソ連の指導部からは考えられない行動力を見せたのでした。


さて、うっかりパックナンバーをすっ飛ばしてしまったわけですが、偶然にもこの号でもチェスのカスパロフの記事が載っています。前回は世界タイトル防衛の話でしたが、今回は初の世界チャンピオンになったという記事。ソ連の若きヒーローです。
相手は同じソ連のアナトリー・カルポフ。彼は10年以上も世界チャンピオンの座に君臨していた人物で、それを22歳の若者が破ったわけですから、まぁ、当時のソ連市民の興奮ぶりがわかります。

それはさておき、カスパロフの対戦相手のカルポフには、なかなか奥深い裏話があります。
カルポフの長年の対戦相手に、ヴィクトル・コルチノイなる人物がいました。ユダヤ人です。しかも、ソ連から亡命したロシア系ユダヤ人。
当時のソ連では、亡命した者を「裏切り者」と呼んでいました。その上、ユダヤ人なのですから、話はややこしいです。そんな両者が真っ向からぶつかるのがチェスの試合だったのです。
しかも、当時のコルチノイは、自分自身は亡命したものの、妻子はソ連に置いたままという心理的ハンデがありました。
ソ連当局は、なにがなんでもカルポフを勝たせるべく、KGBの超能力者部隊(!)を、ひそかに観客席に配置し、コルチノフの集中力を妨げている、などというトンデモ話までがささやかれていたのでした。(後々、説明することになると思いますが、ソ連はなにげにオカルト大国です)。


まぁ、結果的にコルチノフは負けてしまうわけですが。ユダヤ人とロシア人の関係は、1冊や2冊の本を読んだぐらいでは太刀打ちできない、ややこしい背景があります。

そんな中から勝ち抜けた若いカスパロフは、しがらみを断ち切る新しい世代として期待されていたのかもしれません。

今回は、こんなところで。
でわでわ~


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